2008年2学期講義、学部「哲学講義」「アプリオリな知識と共有知」  入江幸男
大学院「現代哲学講義」「アプリオリな知識と共有知」

第11回講義 (20091月13日)

 

§16 ボゴシアンの「認識的分析性」の擁護

 

次の二つの論文を参考にするが、主張は変化していない。説明の仕方が少し異なるだけである。

参照:Paul A. Boghossian, ‘Epistemic Analyticity: A Defense’ (2003)

Analyticity Reconsidered(1996)

 

 

■形而上学的分析性と認識的分析性の区別

Boghossianは、彼の論文 “Analyticity Reconsidered”において、Analiticityを形而上学的な意味と認識論的意味に分けた。前者は、意味にのみ基づいており、事実に基づいていないということである。後者は、それの意味の理解が、それの真理性に関する正当化された信念にとって十分でありうる(grasp of its meaning can suffice for justified belief in the truth of the proposition it)ということである。

 

ボゴシアンは、クワインが、形而上学的な分析性を批判したことを評価するが、認識的な意味の分析性を擁護する。

 

■認識的分析性を二つに区別

分析的真理をクワインと同じように次のように区別する。

論理的真理(カルナップ分析性)と同義性に基づく分析的真理(フレーゲ分析性)

(括弧の中は、論文 “Analyticity Reconsidered”での表記)

 

■同義性にもとづく分析的真理(フレーゲ分析性)

 

「全ての独身者は、結婚していない男性である」の分析性を次のように説明する。

 

1. “All bachelors are unmarried males” means that All bachelors are unmarried males. (By knowledge of S’s meaning)

「全ての独身男は、結婚していない男である」は、全ての独身男が結婚していない男性であることを意味する。(これはSの意味の知識による)

 

2. Since “bachelor” just means “unmarried male,” “All bachelors are unmarried males” is synonymous with “All unmarried males are unmarried males.” (By understanding of meaning)

「独身男」は「結婚していない男性」を意味するので、「全ての独身男は、結婚していない男性である」は、「全ての結婚していない男性は、結婚していない男性である」と同義である。(これは意味の理解に基づく)

 

3. “All unmarried males are unmarried males” means that All unmarried males are unmarried males. (By knowledge of S’s meaning)

「全ての結婚していない男性は結婚していない男性である」は全ての結婚していない男性が結婚していない男性であることを意味する。(これはSの意味の知識による)

 

4. If sentence F is synonymous with sentence G, then F is true iff G is true. (Conceptual knowledge of the link between meaning and truth.)

Fが文Gと同義であるなら、Fが真であるときそのときに限りGが真である。(意味と真理の結合についての知識による)

 

5. Therefore, “All bachelors are unmarried males” is true iff All unmarried males are unmarried males.

それゆえに、「全ての独身男が結婚していない男性である」が真であるときそのときにかぎり、全ての結婚していない男性が結婚していない男性である。[2と4より?]

 

6. All unmarried males are unmarried males. (By knowledge of logic)

全ての結婚していない男性が結婚していない男性である。(論理学の知識による)

 

7. Therefore, “All bachelors are unmarried males” is true.

それゆえに「全ての独身男が結婚していない男性である」が真である。[5と6にMP]

 

8. Therefore, All bachelors are unmarried males.

全ての独身男が結婚していない男性である。 [1と7より?]

 

 

ボゴシアンは、これを次のように一般化する。

 

1. S means that P. (Knowledge of Meaning)

Sは、Pを意味する。(意味の知識による)

 

2. S is synonymous with S’. (Understanding of meaning)

Sは、S’ と同義である。(意味の理解による)

 

3. S’ means that Q, where Q is some logical truth. (Knowledge of Meaning)

S’ が、Qを意味する。このときQは論理的真理である。(意味の知識による)

 

4. If F is synonymous with G, then F is true iff G is true. (Conceptual link between

meaning and truth)

もしFGと同義であるなら、Fが真であるのは、Qが真のときそのときに限る。

(意味と真理の概念的結合による)

 

5. Therefore, S is true iff Q. Q (Logic)

それゆえに、Sが真であるときそのときに限り、Qである。(論理学による)

[2と3と4より]

 

6. Therefore, S is true. (Deductive reasoning)

Sは真である。(5とQが論理的真理であることからの演繹推理)

 

7. Therefore, P. (Deductive Reasoning)

それゆえにPである。(1と6からの演繹推理)

 

ボゴシアンは、これを“Synonymy Template”と呼ぶ。

クワインは、同義性を定義できないと主張したが、ボゴシアンは論文“Analyticity,”

において、意味の実在論を主張し、クワインの議論を批判したそうである。

 

このテンプレートには三つの欠点がある。

@これは、上記の前提4(意味と真理の結合)を説明する必要がある。

Aこれは、論理的原理のアプリオリな知識Qに依存している。

BSynonymy modelで説明できないほかのタイプのアプリオリな命題がある。

  例えば、

? Whatever is red all over is not blue.

? Whatever colored is extended.

? If x is warmer than y, then y is not warmer than x.

これらの命題のアプリオリ性も意味に基づいていると思われるので、これを説明する必要がある。

 

■論理的真理について

ボゴシアンは、次の例で論理的命題と推論規則を説明する。

 

For example, one might think that:

It is by stipulating that

It is not the case that both P and not P

is to be true, that someone comes to mean negation by ‘not.’

Or, to pick another example that will feature further below:

It is by stipulating that all inferences of the form

      p

If, p, then q

Therefore, q

are to be valid that someone comes to mean if by ‘if.’

 

これらが、真であったり、妥当したりするのは、notifの論理定項の理解にもとづいている。そして、その論理定項の意味は、implicit definition(隠伏的定義、文脈的定義)によって与えられている。彼はこのimplicit definitionに、さらにexplicit versionimplicit versionを区別する。

 

このような論理学の規約についての通常の理解は、ボゴシアンのいうexplicit version(明示的に定義を与える仕方)である。そのやり方は、論理定項の説明において論理定項を使用せざるをえないので、説明の循環ないし無限後退に陥り、不整合である。言い換えると、それは、いわゆる規約主義のパラドクスを惹き起こす。

 

そこで、ボゴシアンは、この規約をimplicitなものとして説明する。

――――――――――――――――

Analyticity Reconsideredでの隠伏的定義の説明) 

 

Implicit definition: It is by arbitrarily stipulating that certain sentences of logic are to be true, or that certain inferences are to be valid, that we attach a meaning to the logical constants. More specifically, a particular constant means that logical object, if any, which makes valid a specified set of sentences and/or inferences involving it.

隠伏的定義:<我々が論理定項に意味を与えること>は、<ある論理的文が真であること、あるいは、ある推論が妥当であること>の恣意的な規約による>

 

Now, the transition from this sort of implicit definition account of grasp, to the analytic theory of the apriority of logic, can seem pretty immediate. For it would seem that the following sort of argument is now in place:

この種の隠伏的定義の説明から論理のアプリオリ性の分析的理論への移行は、かなり直接的なものであるようにみえる。つぎのような議論になるだろう

 

1. If logical constant C is to mean what it does, then argument-form A has to be valid, for C means whatever logical object in fact makes A valid.

もし、論理定項Cがそれが行なうことを意味しているなら、議論形式Aを妥当させる論理的対象が何であれ、Cがそれを意味するなら、Aは妥当であらねばならない。

 

2. C means what it does.

Cは、それが行なうことを意味している。

 

Therefore,

3. A is valid.

Aは妥当である。

 

「論理学の基本的な主張は、ある隠された意味や定義への接近、ある概念を構成するための明示的ないし暗黙の決定をおこなうことを我々に認める装置である。」

「古い用語法(アプリオリな「原理」「法則」など)は捨てた方がよい。それは、ある命題的状態を示唆し、それを「規則」としてそれに言及するということを間違って示唆するだろう。」(pp. 265-266)

 

 

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Epistemic Analyticity: A Defense’ に戻る)

 

1. S(f) means that P  (By knowledge of meaning)

 S(f)は、Pを意味する。(意味の知識による)

 

2. If S(f) means that P, S(f) is true  (By knowledge of the contents of one’s

stipulations)

 S(f)Pを意味するなら、S(f)は真である。(規約の内容の知識による)

 

3. Therefore, S(f) is true

 それゆえにS(f)は真である。[1と2にMP]

 

4. If S(f) means that P, then S(f) is true iff P  (By knowledge of the link between

meaning and truth)

S(f)Pを意味するなら、そのとき、S(f)が真のときそのときに限りPである。

(意味と真理の結合についての知識による)

 

5. S(f) is true iff P

S(f)が真のときそのときに限り、Pである。(1と4にMP

 

6. Therefore, P

 それゆえにPである。(3と5からMPにより)

 

ボゴシアンは、これを “Implicit Definition Template”とよぶ。

隠伏的規約は、暗黙の規約(tacit stipulationとも呼ばれている。

 

*意味の理解は、一人称形式で特権的に知られていると通常考えられているが、ボゴシアンによると,暗黙の規約によって論理定項の意味を理解しているので、この理解は、一人称形式で接近可能でないかもしれない。(ボゴシアンは、ここでknow howの一種を考えているのかもしれない。)

 

*上のtemplateでは、1と2がimplicit definitionsになるのではないかと思われるが、もしそれが暗黙の規約で暗黙の前提ならば、それからの6の導出を、前提導出モデル(premise-and-derivation modelで考えることは出来ず、構成モデル(constitutive modelで考える必要があると言う。たとえば、「Modus PonensMP)に従ってすすんで推論することは、ifの概念の所有に構成的に含まれているbeing willing to infer according to MPP is constitutive of possession of the concept if)」という。また前提導出モデルで考えることは、規約主義のパラドクスを呼びこすことになる。

 

 

■まとめ

分析的真理を認めるとすれば、その正当化は、次のいずれかになるだろう。

 @規約による正当化

 Aknow how(暗黙知)による正当化

 B直観による正当化

 

@の規約による正当化は、規約主義のパラドクスに陥った。あるいは、規約の恣意性という問題もあるかもしれない。(このどちらも、クワインは指摘していた)

Aの暗黙知による正当化は、可能であるかもしれないが、それがどのように行なわれるのかは、implicitなままである。ボゴシアンの説明は、その可能性を示しただけで、その論証にはなっていないように思われる。

Bをこれから検討しよう。(Bonjour や Bealerの立場)

 

補足:ボゴシアンは、分析的言明の「意味的概念」を「その言明を理解することが、その言明の真理性についての正当化された信念にとって十分である」ような言明として理解する。この定義は、我々が考えたアプリオリの定義をみたす言明に当てはまる。

「アプリオリな言明」=ある問いに対して事実に基づくことなく正当化される答え

=ある問いに対して意味に基づいてのみ正当化される答え

ある問いを理解すれば、その理解のみに基づいて、その答えPを正当化できるとすると、そのようなPについては、「Pが真であるかどうか」という問に対して、この問いの理解のみに基づいて、その答えが正当化されることになるだろう。つまり、この言明Pを真であると信じることが正当化されることになるだろう。

 

問:<ある問いを理解すれば、その理解のみに基づいて、その答えPが正当化される>と言うことは、どのようにして可能なのだろうか?